私の旅の原点”旅の終わり”

なつかしーsign03

40年近く前に一緒に北海道へ行って、一緒にこの歌を歌った幼馴染の、Yちゃんももうこの世にいません……

1.夢のような旅だった 遠い北の国の
  僕は旅のよろこびと 旅のつらさを知った
  北の国の少女たちと 過ごした夢のせつな
  明日は君もほかの街へ 僕もほかの街へ
  こんなつらい旅なんか もういやだ
  旅を終わろう 汽車にのろう

2.共に山に登ったね 君と手をとりあって
  共に海を見ていたね 水は青く澄んで
  君の心が青く澄んで 僕の心がとりもどす
  海の青さ

3.人と人との出逢いなんて いつも別れで終わる
  僕は君のくれた夢を 明日も持ち続けよう
  こんなつらい旅なんか もういやだ
  旅を終わろう 汽車にのろう
  こんなつらい旅だけど 強く生きる
  ことを知った 旅の終わり

ずっと以前の私のブログ記事から

『旅の終わり』を知った北海道旅行は、なんともう三十年も前。友人に勧められて礼文島へのコースも入れました。

その旅行の切符、ユースからの予約完了のはがき、時刻表などと共に箱に入っているのが、礼文島の鉄府というところの海岸で拾った穴あき貝。ちょっと見渡しただけでここにもあそこにも、大きいのから一センチにも満たない二枚貝の貝殻にまで、まるでキリで開けたような丸い穴が開いているのでした。 この穴はヒトデが開けるのだとユースで聞いたのでずっとそう思っていましたが、今回この記事を書くのにインターネットで検索したら、なんとツメタガイ(タマガイ科) という貝の仕業だということが判明。穴あき貝についての記事もいくつも見つかりました。穴あき貝は紐に通してお土産にもなっていましたっけ。

それから、襟裳岬の海岸で見つけた蝶々の形をした貝。 これはオオバンヒザラガイのなんと背骨らしいです。日高山脈の「アポイ岳ファンクラブ」というホームページからの情報ですが。

リュックをしょっての二週間ほどの旅。ほとんどユースを使っての貧乏旅行でした。上野から急行八甲田で青森まで。青函連絡船で函館へ。苫小牧→支笏湖→小樽→積丹→札幌→稚内→礼文島(船泊)→稚内→旭川→網走→ウトロ→知床五湖→川湯→阿寒湖→釧路→帯広→広尾→襟裳岬→白老→苫小牧→函館→青森→上野のコース。

礼文島には二、三日いました。船泊(ふなどまり)ユースに泊りましたが、久種湖のほとりでキャンプをしている人たち数人と知り合い(その人たちはみんな一ヶ月とか二ヶ月とか長い間そこにいるようでした。あの頃はそんな人がたくさんいたのかも知れません)、野イチゴを摘んだり、魚釣りをしたり、その人たちがイカ釣り漁船に乗って(アルバイト)もらってきたイカをキャンプ場で料理して食べたり、もうほんとに楽しく夢のような時間を過ごしました。

この旅行の思い出は礼文島がほとんどを占めているといってもいいくらいです。帰ってきてからもしばらくは夢に浮かされているような感じでした。 まさに『旅の終わり』の世界。私自身はもう二度とあのような旅はできないだろうと思います。旅というのは景色よりもっと人とのつながりが思い出になるものなんですね。

[Karanosu2006から]