日記・コラム・つぶやき

2016年7月 8日 (金)

私も安倍政治を許さない!

すぐウェブからは消えてしまうだろうから、記事保存のため、転載させていただきます。

「LITERA」(リテラ)の記事より(http://lite-ra.com/2016/07/post-2380.html)

大橋巨泉が臨死の床で綴った“最後の遺言”「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」しかしテレビは巨泉の思いを一切報じず…

 

大物司会者の大橋巨泉氏が、一時意識不明状態に陥り、5月下旬より集中治療室に入っているとの報道があった。巨泉氏自身が、20年近く続けてきた「週刊現代」(講談社)の連載コラム「今週の遺言」で、明らかにしたものだ。

 巨泉氏は2005年に早期の胃がんが見つかったのを皮切りに、13年には中咽頭がんが見つかり摘出手術。また、14年にはリンパ節、15年には右肺、16年には左鼻腔内にもがんが見つかるなど、長らく闘病生活を続けてきた。連載によると、3月半ば頃から体力の落ち込みがひどく、4月には意識不明の状態に陥り、2週間ほど意識が戻らず、5月からは集中治療室に入っていたというのである。

 そのためこの「週現」の連載も、4月9日号を最後に休載となっていたが、今週発売の7月9月号をもって最終回とするという。その最終回の原稿でも、

〈体力が戻ってこず衰えた〉
〈何時まで生きられるかわからない〉
〈老いた体をベッドに横たえ、たまに車椅子で外に出れば直ぐに高熱を出す始末である〉
〈ボクにはこれ以上の体力も気力もありません〉

 と、死をも意識する重篤な病状にあることを繰り返し綴っている。巨泉氏の豪放磊落なイメージからは想像できないほど、深刻な状態にあるようだ。こ の最終回の原稿も、妻と弟のサポートを受けて何とか完成までもっていけたものだという。その最終回の原稿の最後は、こんな文章で締められている。

〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉

「何時まで生きられるかわからない」「ボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と死を意識する壮絶な状況のなか、巨泉氏がまさに最後の力を振り 絞って綴った、「最後の遺言」。それは、「改憲」を争点からひた隠しにして参院選を行い、着実に日本を戦争へと向かわせている安倍政権への痛烈な批判だっ た。 

 巨泉氏の状況を思えばその言葉の重みもより増すが、もちろん巨泉氏は突然こんなことを言い出したわけではない。民主党議員だった2001年に、アメリカの同時多発テロを非難し「アメリカを支持する」との表明に民主党でたった1人反対するなど、巨泉氏は徹底して反戦を掲げ続けてきた。安倍政権に対しても、第二次政権が発足した当初より、安倍首相の危険性を訴え続けている。

「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない。(略)本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。実際、ニコニコして、口当たりの良いフレーズを並べておきながら、国民の過半数が反対した特定秘密保護法を強引に通してしまった。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」(「日刊ゲンダイ」/2014年5月12日)

 また、昨年4月19日には『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ)にゲスト出演し、安倍首相主催の「桜を見る会」に言及。自身も招待を受けていたがそれを断ったと告白して、さらに、巨泉氏とは逆に出席する道を選んだ太田光をこう批判している。

「お前利用されてるんだよ。今日のスポーツ紙に出てたよ。『ああ、安倍さんって心の広い人だなあ』って(大衆に)思われちゃうんだよ」

 さらに同番組では、テレビ朝日NHK自民党に 呼び出された一件についても「とにかく、自民党に呼ばれて行ったテレ朝とNHKはいかん。なんで一政党に呼ばれて、言論の自由を守らなければいけない放送 局が出て行く? これが陰ながらの圧力なんだ」「俺は戦いたい。(略)言論の自由っていうのはね、命をかけて守るべきものなんだよ」と発言。政権に忖度し て自粛を繰り返すメディアの姿勢を痛烈に批判した。

 また、同じく15年の「週刊朝日」(朝日新聞出版)9月18日号では、1934年生まれで実際に先の戦争を見てきた自身の経験を踏まえ、戦争がいかに人の命を軽んじるものであるかを痛切に訴えている。

〈何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。
 特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本 では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。
 それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。
(中略)
 ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や 軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形 を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしている と、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」
 どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。そ れでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである〉

 このように巨泉氏は、いかなる戦争も個人の尊厳を破壊するものとして一貫して反対する姿勢を貫き、「戦争のできる国」作りを画策する安倍政権に対し批判を続けてきた。その姿勢は、病に倒れた後も決して変わることはなかったのだ。

 大橋巨泉が集中治療室に入り、長らく続けられていた「週刊現代」の連載が終了したことは各テレビ局でも大きく報道された。しかし、巨泉氏が最も伝えたかった〈安倍晋三の野望はおそろしい〉〈選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉というメッセージを放送した番組はひとつたりともなかった。巨泉氏が危惧していたメディアの萎縮は残念なことにここでも起きてしまったのだ。

〈書きたい事や言いたい事は山ほどある〉
〈このままでは死んでも死にきれない〉

 と自身でも綴っているように、現在の閉塞した言論状況にあって巨泉氏は貴重なリベラル論客であり、まだまだ語ってほしいことがたくさんある。巨泉氏の「最後の遺言」を胸にきざむと同時に、なんとか回復しまた舌鋒鋭い批判を繰り出してくれる日が訪れることを祈りたい。
新田 樹


| | コメント (0)
|

2014年11月26日 (水)

へえー、DAIGOがねえー(^^)v

母方のおじいちゃんが、あの竹下登さんというDAIGOshine

結構素直でいいキャラしているよねhappy01

1978年生まれってことは、もう36歳。それにしちゃあ…wink

で、今、DAIGOは、ちょっとローカルだけどcoldsweats01岡山に本社がある人材派遣会社株式会社GROP(グロップ)のCMソングを歌ってるんだってsign03

そのDAIGOの歌うグロップCMはYouTubeで見られるgood

「グロップ」っていう社名は「GROW UP」(成長する)から来ていて、それがそのまま、CMソングのタイトルになってるnotes

DAIGO「GROW UP」はここdownwardleft 

DAIGOの、何があってもめげなそうな、明るいキャラが、このCMにピッタリな気がするよねsign03scissors

歌詞の中身を見てみよう。

「自分を信じてチャレンジしよう」

「新しい自分との出会い 怖がらないで胸をはってみよう そうポジティブに」

「最高だね 新しい自分の生き方 試行錯誤を繰り返すけれど そうポジティブに」

こんな前向きの歌詞と共に、勢いのある曲調とDAIGOの屈託のない顔happy01

とっても元気になれるよなあconfident

ブログで口コミプロモーションならレビューブログ

以上レビューブログから頂いた情報をもとに書きました。










**********

| | コメント (0)
|

2014年11月 5日 (水)

整形外科でお世話になってます(^_^;)

側わん症から猫背がひどくなって悩んでいる私が今一番頼りにしている人、それは理学療法士さんcoldsweats01

これまで何回か紹介している求人情報サイト「介護福祉アシスト」でも、理学療法士 求人PT 求人)の情報が載っている。

PTとは、つまりPhysical Therapist、あるいはPhysio Therapistの略語。

給与は月給28万円、年収400万円前後が平均なんだってね。

理学療法士は国家資格。医師の指示のもとに、創作活動・生活活動などの中でその役を担う作業療法士とは違い、本当に基本的な動作能力の回復を目的として患者をサポートするのだ。

病気、加齢、事故などによる身体機能障害からの回復目的で、基本的な動作能力の回復を、運動療法と電気、温熱、寒冷、高専、水、マッサージなどの物理療法という手段を用いて治療をする。

私の場合、まさに、整形外科の医師の指示のもと、体をまっすぐ立てて歩くのが困難になった状態から、歩く、立つなどの基本的な動作が少しでも楽になるよう、その能力を少しでも回復することを目的に、マッサージ、体操、筋トレ(器械を使うことも含む)などの手段を用いて、週二で若い理学療法士さんにお世話になっているわけだ。

私の場合、もう骨自体が側わん症で曲がってしまっているから、今の状態がどの程度回復するかわからないと整形外科の医師からは言われているが、理学療法士さんのおっしゃるように、今の状態を保つ、あるいは、今の状態からもっと悪い方へ向かわないようにするためにお世話になるつもり、そして、何とか続けて通うつもりでいる。

何より、今までの絶望状態から、少しでも頑張る気持、希望を理学療法士さんからもらったと思っている。感謝であるconfident

| | コメント (0)
|

2014年10月30日 (木)

えっ?!羽生結弦君の切手?!

なんと郵便局が羽生結弦 フレーム切手を発売していたーっsign03

それも、もう9月16日からsign03

第二回の申し込みは11月16日日曜日までよ~sign03

羽生結弦 フレーム切手PRタイムズのページによれば、公式ツイッター・フェイスブックのページもオープンしてるってsign03

先に言っておくね、羽生結弦 フレーム切手注文ページ はこちらshine

商品内容は切手シートにプレミアムホルダー。

それになんといっても、小学生時代から現在までの試合やショーの写真のプレミアムカードセットが見どころheart04

裏には彼のコメントも入っているってsign03

さらに、抽選で直筆のサイン入りのカードも当たるpresent

ホルダーも全面、彼のカッコイイ写真good

ツイッターページではカードにある彼のコメントがいくつか見られるよ~heart01

フェイスブックのページではもっと、このセットの魅力が、アップされた写真で分かるようになってる。まずはアクセスsign03wink

締め切りが迫ってるよ~dash

震災を乗り越えて勝ちとった金メダル、これからも頑張って、みんなに希望を与えてほしいねっsign03happy01

ブログで口コミプロモーションならレビューブログ

以上レビューブログから頂いた情報をもとに書きました。










**********

| | コメント (0)
|

2014年10月 2日 (木)

柔道整復師と言えば…

何回か書いている求人情報サイト「介護福祉アシスト」だが、そこで扱っているものの中に、柔道整復師 求人がある。

柔道整復師と言うと、柔道の選手に対する施術、って言うことを一番最初に考えるが、そう言えば、ずっと以前にお世話になった鍼灸院の久保先生が柔道整復師だった。それから、つい最近までお世話になっていた鍼灸接骨院の先生が、やはり柔道整復師だなあ…

久保先生は、柔道の先生でもあり、鍼灸院に隣接して柔道場があり、助手の方も柔道をなさる方だった。若い時に、柔道の金メダリスト山下氏の治療をしたこともあるっておっしゃっていた。一緒に写った写真が誇らしげに治療室に飾ってあったなあ…

ちょっと横道にそれたけど、医療系の国家資格で開業権が認められているものは限られるんだって。

それは、医師・歯科医師・薬剤師・鍼灸師(はり師・きゅう師)・柔道整復師・あん摩マッサージ指圧師・助産師。

だからもちろん、久保先生も、接骨院の先生も個人で開業というわけだ。

私がちょくちょくお世話になる柔道整復師って、正確にはどういう職業か調べてみた。

”業として柔道整復を行うことができる国家資格、あるいはその国家資格を持つ者。 柔道整復術は医業類似行為のひとつで、日本古来固有の伝統医療である。柔道整復師は、骨折・脱臼・打撲・捻挫の治療を行うことができる。柔道整復師は業務独占資格であり、医師と柔道整復師以外のものが柔道整復を行うことは許されない。”(Wikipediaより)

柔道整復とは、”柔術に含まれる活法の技術を応用して、骨・関節・筋・腱・靭帯などの原因によって発生する骨折・脱臼・捻挫・挫傷・打撲などの損傷に対し手術をしない「非観血的療法」という独特の手技によって整復や固定を行い人間の持つ自然治癒能力を最大限に発揮させる治療術。日本独自の治療技術である。”(Wikipediaより)だって、ちょっと難しいけどcoldsweats01

これからもお世話になりそうな職業だなあconfident

| | コメント (0)
|

2014年9月27日 (土)

作業療法士?

私は、側わん症から猫背がひどくなり、最近は、歩くとどんどん前かがみになってしまい、歩けなくなってしまう、という症状になってきてしまった。

で、いつも血圧の薬をもらっている内科の先生に相談したら、去年開院したばかりの整形外科を紹介してくれた。

以前にも他の整形外科に行ったことがあるが、その時には、まだ症状が今のようにひどくなかったから、切実ではなかったので、医者の方も、凝りなどは整体や鍼灸にでも行ってください、としか言ってくれなかった。

今回は、もう私がどうしようもないという状況なので、私も必死coldsweats02

なので、先生の方も、ではリハビリでもやってみますか、効果が出るかはわからないけど、と言ってくださり、理学療法士(PT=physical therapist)さんのお世話になることになった。

だから理学療法士さんとは存じ上げるわけだが、「作業療法士」という方々がいらっしゃるのは初めて知った。

どういう違いがあるのだろうか。

ちょっと調べてみた。

理学療法士は「動作の専門家」と言われ、起き上がる、立ち上がる、歩く、寝返るなど、日常生活を行う上で基本となる動作の改善を専門に行うのだそうだ。

私の場合は、筋トレをして、ちゃんと長い時間”歩ける”ようにするのが目標。

たとえば、骨折をして、それが修復された後、その部分の基本的な機能を回復させるために、運動療法(筋肉や関節を動かす)や物理療法(患部を温めたり冷やしたり、電気刺激を与える)などを行う場合もそうなんだって。

それに対して、作業療法士(OT=occupational therapist、理学療法士とともに国家資格)は、身体や精神に障害を持っている人に対して、日常生活動作、創作活動、趣味的活動など、さまざまな作業活動を通じて身体・精神機能の回復や、社会生活を営む上で必要な機能の回復をはかる治療(作業療法)を行うのだそうだ。

内容的にはかなり広いようだ。

入浴や食事などの日常生活だけでなく、潤いのある毎日を過ごすための手工芸、絵画、音楽、園芸などの作業を通して社会的適応能力の回復をサポートするということらしい。

この作業療法士 求人、すなわち、OT 求人の情報も、「介護福祉アシスト」でゲットsign03

| | コメント (0)
|

2014年9月25日 (木)

ケアマネージャーも大変な仕事

多分、娘の一人のお義母さんは、この”ケアマネージャー”(介護支援専門員)なのだと思う。

もうずっと長い間、つまり、一人息子を育てる間、ヘルパー、そして、その上の仕事をなさってきたらしい。

ヘルパーさんの上の仕事、すなわち、ヘルパーさんをまとめる仕事、ケアマネージャーを現在はなさっているはずなのだ。

私が居合わせたときも、仕事のことを携帯で話しておられた。

常に仕事のことが頭にあり、また身近にある、大変な仕事なのだろう。

ウェブで、正確なところを調べたら、ケアマネージャーとは、「介護保険法において要支援・要介護認定を受けた人からの相談を受け、居宅サービス計画(ケアプラン)を作成し、他の介護サービス事業者との連絡、調整等を取りまとめ、また、きちんとサービスが実行されているか、あるいは効果が出ているかのチェック(モニタリング)を行なう者」ということだった。

介護を受ける側には、予算の限りがある。だから、その範囲内で最良の介護が受けられるように計らうのも仕事の一つなのかもしれない。

ケアマネージャーになるには、都道府県の実施する「介護支援専門員実務研修受講試験」に合格し、「介護支援専門員実務研修」の全日程を休まず全て受講したうえで、レポートを提出する必要があるのだそうだ。

この 「介護支援専門員実務研修受講試験」には受験資格があり、社会福祉士、介護福祉士、医師、薬剤師、看護師、理学療法士、ホームヘルパー2級課程修了などの資格所持者は5年以上、それ以外の者は10年以上の実務経験が必要なのだという。

やはりそれだけ大変な仕事だし、ベテランとしての経験が必要とされるわけだ。

ところで、このケアマネ 求人、つまり、介護支援専門員 求人も、以前書いた【介護福祉アシスト】で情報をゲットできる。

| | コメント (0)
|

2014年9月 2日 (火)

母ももう介護してもらっている…

先ほどもアクセスした求人情報サイト「介護福祉アシスト」。このサイトでは、介護 求人介護 転職についての情報がたくさん載っている。

介護の仕事は、急速に進む日本の高齢社会にはなくてはならないもの。

でも一口に介護といっても、その資格はものすごく多いんだって。

そういえばそうだよね、私が知っているだけでもヘルパー、介護福祉士、ケアマネージャー、そして、先ほど書いた精神保健福祉士もそう。

実母ももう老人ホームに入って、こういう方々に日々お世話になっているわけだ。

三女の姑さんも、もう長い間介護の職について日々頑張っておられる。尊敬の一言confident

もちろんもう管理職であるらしいが、頼りにされてなかなか辞められないとおっしゃっている。

最近、日本全体の若人の不足、そして、3Kの職種は敬遠されることから、介護職の人手不足がよく言われる。

それで、東南アジアなどの外国人の手を借りることが少しずつ出てきているようだ。

年配の人は、外国人は抵抗があるという人もいるかもしれない。

でも、これからは、外国の方にも手伝っていただかなくては、日本の介護の世界は立ち行かなくなるのは目に見えている。

そうそう、先ほど言ったサイト「介護福祉アシスト」には、介護関係だけでなく、リハビリ、保育・教育、栄養士、福祉医療、医療事務の職種に関する情報も載っている。

実は最近、側わん症から猫背がひどくなり、リュックを背負わなくては、どんどん前かがみになって歩けなくなってきてしまった。

それで、整形外科でリハビリを開始した。

そこでお世話になっているのが、リハビリの項にある理学療法士さん。

若い男性の理学療法士さんの優しさに魅かれて、なんとかリハビリ頑張ろうと思っているところだcoldsweats01

老老介護で、姑と暮らしながら自分も年老いて…こどもたちの世話にならないように頑張るのだ…

理学療法士さん、よろしくお願いしまーすsign03

Link_kaigo_fukushi

| | コメント (0)
|

2014年5月13日 (火)

「一人親方労災保険特別加入」って?

うちの旦那の会社、と言っても、今は超縮小して、旦那のほかに二人の社員、そして、現場で働いてもらう職人さんを一人お願いしている、という状態。この方は社員ではない。

つい最近、その職人さん、現場で手首を骨折するという事故にあってしまった。

旦那もその後処理でかなり大変だったらしいけど。

その職人さんはもう70歳過ぎていて、結婚もせず、ずっと兄弟三人で暮らしながら働いてきたらしい。

弟さんの一人はすでに亡くなり、もう一人の弟さんと暮らしているらしいが、過去の財産に関する身内とのトラブルでお金もなく、健康保険とか、年金とか、もしかしたら払っていないのじゃないかな、と旦那は言っている。

でも、旦那が無理にでもということで、建設業の一人親方労災保険特別加入というのがあるから、万一のことを考え入ってくれと言って入っていたという。

だから、今回その一人親方労災保険のおかげで何とか治療費、休業補償も出ているらしい。

旦那が言うには、そういうお金のない一人親方という人たちはたくさんいるんじゃないか、と。

ホントに日本も、アメリカなどに負けず劣らず格差社会だなあ、と改めて思う。

その一人親方労災保険特別加入制度というのはどういうものか、改めてウェブで調べてみた。

一人親方労災保険特別加入制度の対象になるのは、会社に属さないために労災保険の対象とならない人たち。

一人親方労災保険特別加入制度は国の制度で、費用は、国に納める労災保険料(本人が選ぶ給付基礎日額で決まる)と一人親方労災保険組合費の二つ。

組合入会の最初には3,000円の入会金が必要だが、その後は毎月たった1,000円の組合費と保険料を納めれば済む。

費用の支払いはコンビニででき、分割払いも可能だという。

| | コメント (0)
|

2013年11月25日 (月)

臓器提供、あなたはどうする?

manukaさんという方のブログ「来世牧童になるために」の2009年7月13日の記事”納得できない臓器移植法A案 成立。それで、柳田邦男さんの言葉を読む。”に、臓器移植法が成立した時の柳田邦男氏の発言が載っている。

私は今、氏の『犠牲(サクリファイス)ーわが息子・脳死の11日』を読んでいる。

私は以前、アイバンクと、腎臓提供のカードを作ったが、ちょっと考えてしまっている…

というのは、ジャーナリストで知識人の柳田氏でさえ、息子さんの臓器提供についてはたいへん悩んだ末に結論をだしている…だから、自分が死んだとき、死んだ自分自身はいいけれど、臓器提供について結論を出し、サインをしなくてはいけない子供たちに、ものすごい負担がかかるということがなんとなくわかったからだ。

それで、子供たちの心にいつまでも後悔やら、これでよかったのかという悩みが残ってしまったら申し訳ない…

もちろん、臓器提供で人が救えるのはいいことなのだろうが、氏も本の中で書いているように、臓器提供を受ける人の命が大切なように、提供をする人の命も同じかけがえのないものなのだ。

だから、臓器提供を決めるには、それぞれの人、家族が本当にじっくりと考え、決めていく必要があるのではなかろうか。急がされて結論を出すべきものではない気がするのだ。

いざという時のために、健康なうちに考えておくことも必要かも知れない。

以下は、manukaさんのブログ記事から(つけは私です)

07-14

改正臓器移植法成立 柳田邦男さんに聞く

2009年7月14日 東京新聞朝刊

 脳死は人の死を前提とする改正臓器移植法(A案)が成立した。脳死状態と診断後に亡くなった次男の腎臓を移植のために提供した経験を持ち、厚生労働省の「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」のメンバーでもあるノンフィクション作家、柳田邦男さん(73)に聞いた。

 今回の採決では、ドナー家族への十分なケアや支援をしっかり盛り込んだA案の修正案が否定されたことが重要な意味を持つ。これまでに行われた八十一例の脳死者からの臓器提供を検証し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病になるなどドナー家族が現実に抱える問題が分かった。A案は臓器の数を増やしたいという一点に絞られてつくられたが、参院では、A案提案者自身にドナー家族に配慮する修正条項を加えてほしかった。

 だが、A案推進派のすさまじいロビー活動で、ドナー家族を守ってこそ、よりよい移植医療が行われるという配慮が吹き飛んでしまった。「自分 たちは臓器さえもらえばいい。ドナー家族がどんな問題を抱えようと私たちは臓器だけあればいい」と言っているに等しい、ものすごいエゴイズムだ。

 とはいえ、法律ができてしまったので、いくつか提案がある。

 臨床現場では脳死になって逝く人の家族に脳死判定や臓器提供などの決断を迫ったり、せかすような場面をつくらないでほしい。あくまでもゆと りのあるみとり、別れが成立するようにしてほしい。「脳死は死」というのは人間が決めたことで、科学的事実などという大うそはつかないでほしい。臓器提供 や脳死判定を拒否するのは、悪いことだとか、臓器提供を待つ人に対して犯罪的なことをしているような後ろめたさを抱きかねない。こういうことのないよう、 現場の医療態勢や医師らの心得を十分に成熟させてほしい。

 子どもの場合は親・きょうだいへの手厚いケアが必要だ。子どもの終末期のケアや悲嘆に暮れる親への心のケアは遅れており十分な態勢をとってほしい。

参議院 厚生労働委員会 7月2日 第21号(2009年)より

○参考人(柳田邦男君) 御指名ありがとうございます。

 私は、自分の立場と問題を見る視点というものをまずお話しし、そして脳死移植の現状の中からこれから何が問題かということに話を移していきたいと思うんです。


 私の立場でありますけれど、既にもう今年で十七回忌を迎えますが、二十五歳だった息子を臨床的脳死経過を経て、みとっております。十一日間 のICUでの日にちでした。そのうち、最後の六日間が脳死状態でした。九三年なのでまだ臓器移植法はありませんで、臨床的な脳死と言われました。最後に は、息子の意思を生かして腎提供をいたしました。


 もう一つの立場は、脳死下の臓器移植法ができてから移植が始まりまして、最初はいろいろと社会的な混乱を招いたので、私が提案いたしました のは、一例一例慎重に検証作業をして、そしてその中から問題があれば今後に生かして、法律の見直しということがある場合に、きちっとそうした現実を見た上 で検討すべきではないかという提言をしたわけですが、それが容認されて、厚生大臣懇談会として臓器移植検証会議、よく脳死検証会議と言っていますけれど、 それに加わりまして、ずっと今まで作業してまいりました。これまで移植が行われたのは八十一例ですが、既におととい、座長の藤原先生が報告されたように、 これまでに五十一例の検証を済んでおります。また、一部については、ドナー家族の心情把握という作業もやってまいりました。


 そういう意味で、私は、自分の経験、さらには一例一例見てきた現実に起こっていること、それをベースにこれからお話ししてみたいと思うんで すけれど、その前提として、私は作家活動をしているということもあるわけですが、物の見方に二つあって、そのどちらの見方をするかで大変見えてくるものが 違ってくるということについてお話ししたいと思うんです。


 それは、例えば阪神・淡路大震災があった直後、一口に死者五千人と言われました。最終的には六千四百人を超えたわけですが、そのときにビートたけしが ある評論の中でこういう発言をしました。ジャーナリズムは五千人死んだ、地震が起きた、五千人、五千人と言っているけれど、違うと。一人死んだ悲劇が五千 回、五千個同時に起きたんだと言ったわけですね。これは極めて重要な問題の見方です。数字で一まとめにするんではなくて、一人一人の人間、一つ一つの家族 がそれぞれの人生や生活をしていき、それぞれの価値観を持っている。それが、命が絶たれる、死亡するというそういう悲しみに直面したときに、そこに生まれ る物語というものは全く別です。この見方が極めて重要なんですね。


 ちなみに、我々は、例えばイラクやアフガニスタンでテロ行為があって今日は五十人死んだとか百人死んだといっても、その一人一人の現実は見 えないわけですね。あるいはナチス・ドイツがユダヤ人せん滅作戦で六百万人を殺害しましたけれど、その実像は見えてきません。ところが、アンネ・フランク一人の死というものを見ると、極めてリアルに人間の死というものが立ち上がってくるわけです。この視点から臓器移植の現場というものを見ると、また違った姿が見えてくるということです。


 それからもう一点は、専門家の陥りやすい視野の偏りについて、大変僣越でございますが、申し上げたいと思いますのは、現代社会というのは、 科学や法律や様々な意味で専門的職業人を要請し、社会はそれで成り立っているわけですが、専門的業務に専念すると、その業務の範囲内で専門的知識と経験を 生かしてある仕事を達成しようとします。そして、パフォーマンスを上げようとします。そうすると、自分の専門以外のこと、あるいは今、自分が目の前で直面 していること以外のものについて余り関心を持たないか、視野の外に置いてしまうということですね。


 これら視点の二つを、私なりにこの移植問題について申し上げますと、臓器をもっと欲しい、法律を変えれば五百個臓器が増えるという見方と、 その五百個のうちの一つ一つに人生の悲しみ、人々の悲しみ、家族の悲しみ、つらさというものがこもっているという視点がいつの間にか欠けてしまってはいな いかということ。そしてまた、移植医療を推進するときに、法律を変え、あるいは手続を簡便にすることによって移植医療が推進するということを言っているう ちに何かそこで忘れ物がないだろうか。


 私は、いろいろな取材や講演活動の中で面と向かって移植学会の幹部の方に言われたことがあります。柳田さん、もっと臓器を取りやすくするよ うに法律を直してくださいよ、協力してくださいよと言われました。こういう視点が専門家の陥りやすい視野の偏りというものではないかと思うんですね。恐ら く、その先生は悪意で言ったわけではない。しかし、自分の専門業務、あるいは自分が診ている患者さんを救いたいというその一点に焦点を絞ったがゆえにそう いう言葉が出てきてしまうんだろうと思うんです。


 そしてまた、日本人は奉仕の精神がないから駄目なんだとも言われました。では、脳死状態で今みとろうとしている家族の前で、そして脳死に同 意しようか迷っている人の前で、あなたは奉仕の精神持っていますか、欠落していませんかと言えるのかどうか。これが一人一人の現実の命や人生というものを 見ていく視点ではないかと思うんです。


 こういうことを申し上げると、まるで私は移植医療に反対しているように受け取られているかもしれませんが、一例一例検証作業をする中で、よ り良い移植の在り方というのを絶えず考えてきました。何十回となくこの十年間にほとんど欠席しないでやってまいりました。そこに注いだ労力は私だけでなく 委員の方々皆共通だと思うんですけれども、衆議院において今回、脳死移植の改正法案が審議されたときにこうした検証会議の作業の本当に重要な部分というの が一度も議論されなかったということに私は大変驚きを感じ、懸念を感じたわけです。

 

 現行法が成立したとき、三年後の見直しとか、実態をよく見た上でまた再検討とか言われました。決議もされました。しかし、今回、法案の改正 案が出たときに、この五十一例まで検証が済んでいるにもかかわらず、その検証についての議論あるいは問題提起が一度も聞かれなかったということは一体何な のか、私は大変不思議に思いました。


 そこで、お手元に配りました私がメモした二枚の紙の1の改正論議に欠落しているということですが、そこに書いてありますように、この検証会議で見えてきたドナー家族の現実という問題、あるいはグリーフケアの視点の欠落という問題、そしてまた情報や視点の偏りの問題、そしてまた死をめぐる日本文化の特質について、こういったことについて、きちっと改めて議論し直す必要があるのではないかというのが私の今日の発言でございます。


 そこで、早速、現実に行われたドナー家族の現実の問題ですが、お手元にお配りしてありますこちらの事務局から配られた分厚い資料の中にドナー家族の心情把握等作業班報告書概要というのが六十四ページから出ております。これはちょうど一年前に検証会議が発表したものであります。


 実は、これをどれだけリアルに読み取れるかどうかというのがこの文章を読む人の感性の豊かさのリトマス試験紙 で はないかと私は思うんです。ここに書いてあるのは実に一般的にさらりと書いてあるだけです。なぜもっとリアルに書けないかというと、これはドナー家族それ ぞれのプライバシーを守らなきゃいけない、そしてまた同意を得なければいけないという大変厳しい条件下でようやくここまでたどり着いたものであります。移植が始まって十年にしてかすかに見えてきたのがこういうことです。


 そして、これは最初、予備的に簡単に面接に応じてくれたドナー家族の会などで社会的に発言している方々にインタビューをし、それは精神科医や臨床心理士 に よる心情把握班という専門チームをつくりまして、そして面接作業をしました。そして、私はその心情作業班の会議にもすべて出ました。一例一例について詳し く立ち会っております。そして、その上でどういう面接をしたら本当に家族の状況が分かるかということを調べていくことにして、方法論の議論に二年も掛けま した。予備的に更に三例の調査をしました。


 最終的に、初期におけるドナー家族二十五世帯のうち、同意が得られた九世帯のみについて、精神科医と臨床心理士と二人ずつペアを組んで時間 を掛けて丁寧な面接を行った結果、様々なことが明らかになったのですが、それらを一般的に抽象化するような形でまとめたのがこの報告書であるわけです。


 そして、それらの中で、六十六ページに、

1 ドナー家族の心情と書いてありますけれども、これを簡単に要約しますと、私がメモをした二枚の紙の2項の(2)のところにまとめましたけれども、非常に各ドナー家族は個別性が強い多様な反応をしていること。


2 突然の事態へのショック、悲嘆反応と、一方では亡くなっていく人がカードを持っていたことによる、臓器提供に同意するドナーカードを持っていたので、それを生かしたいという決断を迫られる、この二つの反応が激しく交錯して葛藤に陥るということ。


3 脳死を受容できないまま同意する家族と、自然死と同じだとすんなりと受け止める家族の両方が、いろいろな濃さがありますけれど、あるということ。


4 臓器提供を誇りに思い、生きる支えにしている家族と、トラウマを引きずる家族の両方があるということ。


5 連絡さえ拒否する家族がある。もう電話も掛けてくれるな、そんなことは思い出したくもないという、こういう家族です。


 ここから若干プライバシーにかかわるので記録は止めていただければ有り難いんですが、よろしゅうございますか。


○委員長(辻泰弘君) じゃ、速記を止めてください。

   〔速記中止〕

○委員長(辻泰弘君) 速記を始めてください。


○参考人(柳田邦男君) 物を見るときに、対象化して見るか、自分がその場に当事者としていたらどうなのかという、この二つの視点の違いとい うものをこれほど考えさせられることないわけですね。移植医療によって救われる人がいるということはすばらしいことです。私もそういう形で救われる人が増 えることを願っております。


 しかし、移植医療というものは二つの死に直面した命の間で初めて成立するものです。言うまでもなく、死んでいく人がいるから臓器提供が行わ れるわけです。そして、死に直面した人、そしてその家族が、一刻も早く臓器提供があり、この病者を救いたい、病気から解放してあげたいと思う、この二つの 相矛盾する立場、これをどう調整するかということこそ今問われている問題ではないかと思うんです。


 そこの接点をどこに求めるのか。私が情報の偏りと言ったことは、救われる人たちの声、救われた人たちの声、そういうものはこの二十年の間、 非常にしばしば言われてきました。移植学会もそれを代弁して強調してまいりました。しかし、提供した人がどういう状況にあるのかについてはほとんどだれも 公にしてきませんでした。まれにドナー家族が本を書いたり、新聞にインタビューに答えたりしても、それは積極的に評価して、うちの娘は宝だ、臓器提供した 娘は我が家の家宝だと、こういう家族たちは表に出ます。しかし、悲しみに触れ、PTSDになったり、うつになったりした人たちは、外部から接触されること さえも拒否しています。そういうことを考えて、移植現場、臓器提供の現場というものがもっともっと現実に即した形で考えられなければならないし、そのこと を踏まえて法律はどうあるべきかということを検討していかなければいけないと思うんです。


 私がお渡ししました大きな2の(3)、ドナー家族を支える体制についてというところの、四つほど挙げておりますけれど、今の現状は、ドナー 家族が決断を迫られたときに激しい悲しみと葛藤、その中でそれを支える体制がないということ。そして、提供後のトラウマやPTSDに対処するものは自分で 解決していかなきゃいけない、自分で医療機関を探したりしていかなきゃいけないという言わば自己責任扱いされているということ。三番目に、こうしたドナー 家族のたどるグリーフケア、グリーフに対する、自らそれを乗り越えていくグリーフワーク、そして周囲から支えられるグリーフケア、これに対する社会的認識 が極めて遅れているということですね。そして四番目に、こうした決断を迫られる混乱の場で愛する人の死を受け入れていく納得感というものを得られるには大 変時間が必要なわけです。


 私の経験を言いますと、脳死と臨床的に診断されてからの六日間、これは息子が二十五年間生きてきたよりはるかに密度の濃い重要な時間でし た。その間にどれだけ、人間が生きることや、人生や、あるいは家族のきずなや、様々なことについて深く深く問われ、考え、そして対話をしてきたか分からな いほどです。それがその後の私の人生に大きな影響を与えました。


 同じように、死をみとった人々の中で、本当に豊かな時間の中でみとった場合と、せっぱ詰まるような形で、あるいは追い立てられるような形でみとった場合とでグリーフワークのプロセスが全く違っているということも取材の中で分かってまいりました。


 私は、死の臨床研究会や、様々な生と死にかかわる学会活動もこの三十年ぐらい続けてまいりました。そして、驚くべきことに、緩和ケアとかグリーフケアとか、そういったことを言葉でさえ医療者の中にはほとんど知らない人が過半を占めているという現実です。


 そういう中で、それでは子供の死というものがあったときどうなるかという問題が起こってくるわけでございますけれど、それを大きな枠組みの3というところで列記しました。


 子供の脳死というのは、多くの場合、突然死、交通事故とか、その他様々な事故、あるいは何らかの脳血管障害とか、様々な形で起こりますけれど、どんな親であれ子供の死は悲しいものです。虐待する親などは別としまして、ドストエフスキー が「カラマーゾフの兄弟 」の中で書いてありますように、子供の涙は地球より重いということはすべての親にとって共通です。移植を待つ親も、あるいは救えない親もみんな同じです。イーブンです。そのイーブンの親たちの抱え込む心情はいろいろです。


 例えば、震災死の場合、ある臨床心理、グリーフケアの専門家が三十四人の子供を亡くしたお母さんの経過をずっと長年たどってきました。離 婚、別居、そして周囲と従来のような交際ができなくなってくる、あるいは息子と同じクラスにいた子の親たちと付き合えなくなる、様々な葛藤を経ている家族 が過半を占めていますね。あるいは自死遺族の場合、子供が自死した場合、もっともっといろんな意味で親の立ち直りというのは難しくなってきます。病死の場 合でも、いろいろな病気の種類によってまた違いますけれども、大変大きなトラウマを抱えてまいります。


 そういう中で、大変私にとって人生の指針というか学びになったのは、例えば小児がんの子供たちを毎年夏にサマーキャンプに誘って、子供同士 が支え合い、子供同士が命について深い考えをし、そして、中にはがんになって良かった、こんなふうに命を真剣に考えられる自分ができた、あるいは他者の痛 みや悲しみも理解できるようになったと、こういう心の成長をするまだ中学生ぐらいの子が少なくないんですね。


 そういう命と死というものが突き付けられたときの子供の成長あるいは親の成長というものはとても重要な要素だと思うんです。それだけに、しっかりと見詰められる時間というものがいかに重要かを改めて考えさせられるんです。


 子供の脳死をどう考えるかについては、私自身多くの小児科の先生方とお付き合いしてまいりました。非常にばらばらです。学会として統一見解 がある程度あるにしても、つい一週間ほど前に発足した小児科学会脳死プロジェクト委員会の中もやっと議論が始まったところで、片や子供の脳死を積極的に認 める先生から、とても認められないという先生まで幅があります。


 票を集めて多数か少数かではなくて、意見が分かれているということは、それぞれ医療現場でそういう考えの違う先生方が脳死という現場に直面 するということですから、法律で急いで一律に決めたときに現場が混乱することは避けられないと先生方もおっしゃっています。私もそう思います。


 そこで、これからの問題ですが、時間もないので簡単に申し上げます。


 最後の5に、今後への提言として書かせていただきました、八項目ほど。一人一人の死を大切にすること、臓器移植のニーズとの調和を図るために次のことを提言したい。

 

 (1)、脳死を一律に人の死と断言することは、一般の人々が更に意識の成熟する時期まで、あるいはそういう様々な社会的な取組が発展するまで待つべきではないか。


 (2)、脳死を死として受け入れられない人は、法的脳死判定を拒否できることを真っ先に法律の条文でうたうほか、そのことを社会的に広く認知すべきではないか。

 

 今回のA案ですと、それは確かに臓器提供意思ある人が判定を受け、脳死を死とするということになっていますけれども、法律全体の、そしてま た喧伝されているうたい文句は、脳死は人の死なんだということを大前提にしてA案を成り立たせている。そして、よく読めば脳死判定を拒否することができる ようになっているけれども、それはあたかも例外的なようなイメージしか持たない。一体、このような法律の場合、脳死判定の現場、あるいはその前に同意を得 る現場、そこで医師やコーディネーターはどのような会話をするのか、今までの法律とどう言葉が違ってくるのか、極めて困難な問題が潜んでいると思います。

 

 (3)、臓器提供を望む人の場合のみ脳死を人の死とする現行法は、日本人の心情と日本の死の文化の特質をうまく取り入れたものとして今後も大事に維持していってほしいということ。

 

 これは、日本の命の文化、あるいは一般的に価値観というものに通じると思うんですけれども、ファジーなところを大事にします。西洋の合理主 義的、科学主義的に一律に線引きをする、白か黒か、イエスかノーかではないものを大事にする文化であります。恐らく世界的に見て、日本の現行法は例外的な 法律だと思います。

 

 脳死は人の死というのは科学的な事実ではなくて、そういうことを決めようという人間が決める問題です。三徴候でなく、脳死を人の死にしよう ということは人間が決める問題です。その決める人間は日本人です。日本人の様々な心情の特性、文化の特性というものを大事にするのか、あるいはグローバル スタンダードに合わせて、世界に日本も国際レベルになったと誇らしげにするのか。それは、実際に脳死で愛する家族をみとる人の前で、世界はこうなっている からあなたは脳死を人の死と認めなさい、法律でこう決まりましたよと迫ることができるのかという問題にもつながると思います。


 (4)、子供の脳死については、小児科学会や様々な関連専門分野の見解がまとまるまで、少なくとも方向性が明確になるまで、法律で枠組みを先に決めてしまうのはやめるべきではないか。


 (5)、グリーフワーク、グリーフケアの重要性に対する社会の認識を高め、そのドナー家族への対応策を行政と医療界の両面で確立すべきことを法律でもうたってほしい。


 (6)、脳死判定への同意するまでの時間や脳死判定後の臓器摘出までの時間については、家族の心情に応じて十分に受容できるように配慮すべきことを施行規則などで明記する。

 

 脳死判定後、臓器摘出のために直ちに手術室に搬送するのではなく、数時間から一日くらいのお別れのときを設けるのが望ましい。これは御家族 によりますと、もう十分お別れしましたといってどうぞと言う人もいらっしゃいます。しかし、多くの場合、先ほど読み上げましたように、極めて混乱とパニッ ク状態の中でサインをしております。そういうときに、しっかりお別れしてください、一日待ってあげますとか、あるいはもう私たちはいいですと言った家族で も、せめて一時間ぐらいはそばにいて抱き締めてあげてください、言葉を掛けてあげてくださいという、こういう別れの時間を設けるかどうかということが極め て重要だと思います。それは、そういう時間を持ったことがその後のグリーフワークのプロセスに大きな影響を与えることを私はグリーフケアのいろいろな研 究、そして現場から見てまいりました。


 (7)、移植コーディネーターの地位の改善と質の向上。

 これは、コーディネーターの現場で働いている状況をドナー家族の側から見た調査及び私自身がコーディネーターに個人的に会って話を聞いた中 から、医療界においてコーディネーターの地位は極めて低いです。移植医側からもっともっと臓器を取れるようにうまく話せと言われた人もいます。そして、給 料は安いです。社会的に何か誇らしげに言えるような肩書ではないといった、そういう人もいます。いろいろなはざまの中で苦しんでいるのがコーディネーター です。もっともっとこの地位を、現場で混乱する家族に対してどうやったらこのパニック状態から少しでも救えるか、それは何もカウンセリングしようというこ とではないんですけれど、どういうコミュニケーションを取ればいいのか、それくらいのレベルを持ったコーディネーターがいないと現実の家族側のニーズにこ たえることができないと思います。


 (8)、ドナー家族の心情の大変さについて移植医側が真剣に向き合い、理解を深める方策について学会が積極的に取り組むこと。

 決して臓器をどれだけ増やしたいから法律を変えるとかそういう視点ではなくて、本当にドナー家族に寄り添って、本当に提供が自分たちにとっ て良かったと、グリーフワークを進める上でとてもプラスになったと言えるような医療環境と医療者のコミュニケーション力、それが問われているんだろうと思 いますが、十年たって現実は、そういう問題についての関心が実のところ現場にまだまだ浸透していない、また問題意識も必ずしも高まっていないというのが現 実です。こういう中で、法律の改正だけが先行していいんだろうかということに私は大変疑念を感じるわけです。

 具体的にどういう法律にするかはこれから委員会で議論していただきたいと思います。また、私のこうした発言が移植を待つ御家族の方々にとっ てとてもつらい言葉だったかもしれませんけれど、本当の真実の命のリレーという意味ではどうしてもこういう問題も目をそらしてはいけないという意味で発言 させていただきました。お許しください。

 以上でございます。






○福島みずほ君 四人の参考人の皆さん、どうもありがとうございます。

 柳田参考人に一点お聞きをいたします。

 何件も弁護士会に人権救済の申立てがされていて勧告も何件か出ています。厚生労働省自身も行政指導を行ったケースがあって、私がそれぞれ事 案を見ると、やっぱりちょっと驚いたのは、例えば遺族が非常に問題にして救済の申立てをしていると。例えば、一九九九年六月九日、交通事故により救急車で 搬入された二十歳の患者の遺族が、救命治療を十分しなかったということで例えば申し立てていると。弁護士会の勧告は、これはやはりきちっといろいろやって いないというような勧告が出ていたり、あるいは無呼吸テストを随分何時間も前に早くやり過ぎているので、本人の体にとても悪い影響を与えているという勧告 も出ている場合があるんですね。

 ですから、今回の法案もさることながら、過去の事例の中で遺族が救済申立てをしていたり、厚生労働省が行政指導をしているケースもあるとい うのは、ちょっと私自身は大変心を痛むというか、ショックだったんですが、実際、今回検証されて、これは問題ではないかとか、いかがだろうかというケース はあったんでしょうか。


○参考人(柳田邦男君) 結論を言いますと、ありませんでした。どういうことかといいますと、検証会議では、医学的検証作業班という救急医療 やあるいは脳の関係の専門家で構成された作業班があるわけです。その作業結果が全体会議の中で報告されてまいります。そして、検討する素材は、治療経過、 もちろん発症から搬送、そして治療、判定、移植のための摘出という、これは分刻みで非常に詳しく報告されてまいります。その範囲で専門家を含めた全体会議 で議論するわけですけれど、そういう中で見た限りは、治療が放置されていたとか、あるいは不十分であったということは私が経験している範囲内ではありませ んでした。


 ただ、それを御家族が足りなかったと思って訴えたことによって何か新しい事実が分かって、そして事態が動いたということについては検証会議のこれ枠を越えた話なんで、それについては何とも申し上げかねます。

 以上です。

○福島みずほ君 ありがとうございます。






○谷岡郁子君 ありがとうございます。

 まず、先ほど柳田先生が指摘された点で、やはりある部分については、ドナー、良かったというものはこれまで出てきたけれども、やはり後悔し たというようなものが出てこないと。何となく私たち自身も、やはり密室イメージといいますか、もっと検証の結果などが表に出てきて、もっと問題点の改善が 提言されるというような構造にならないと、なかなか社会的な理解が得られないということに思えるわけですが、寺岡先生がその点についてどう思われるかとい うことと、そして篠崎さんと柳田さんのお二人にお聞きしたいことは、これでもしA案が通りますと、ドナーカードの提示という一つの、ある種、家族の納得さ せる大きなものがなくなって、もっと家族の葛藤というものは言わば深まる可能性があるのではないかと、このことについてどういうお考え、御意見をお持ちに なっているかということについてお伺いいたします。


○参考人(柳田邦男君) 質問の内容は、ドナーカードがなくなったらどういう変化が起こるかということですが、これまでの調査の中で、ドナー 家族はまず肉親がもう死が避けられないというところで動転し、悲しみに打ちひしがれるという、そこでカードがあるというのが分かってくる。それは、事前に 家族が話し合って合意している場合は比較的素直に受け入れるプロセスをたどりますが、半分ぐらいはそういう事態になって初めて、財布の中にドナーカードが あったとか、家にドナーカードがあるのが分かったとかということで、何日かたったところで分かるんですね。そこで決断を迫られるわけです。本人の意思を生 かさなければいけない、しかし自分はどうしていいのか分からない、脳死って何なんだという。

 ところが、今、ドナーカードというのが一般的になくなって家族の決定があれば臓器摘出ができるということになりますと、一〇〇%家族に責任 を負わせることになり、家族は大変な葛藤、悲しみの葛藤に加えて、一〇〇%責任を負わされるという葛藤ですね。その場合に、事前に家族間で合意がなかった 場合、あるいはそういうことをしようねという会話がなかった場合、後に尾を引くことが当然多くなるのではないかというふうに予想されます。これは何例かを 見てきた経過からの推定です。







○南野知惠子君 ありがとうございます。

 四先生方に大変含蓄のあるお話を聞かせていただきました。

 私は一点に絞りたいんでございますが、今、柳田先生のお話の中に、心と命という問題又はその死のグリーフケアをどのように図っていったらいいかというようなもろもろの課題が含まれて、大変大切な課題であろうかと思っておりますが、今、映画のカンヌ祭などでも、「おくりびと 」という問題が、今、日本人の心を表しているように思うわけです。それらと関連する臓器移植という問題について一言教えていただきたい


○参考人(柳田邦男君) 移植医療に限ったことではないんですけど、現代医療というのは人間の命を比較的物の視野の中でとらえる傾向が強い。 臓器とか細胞、遺伝子、組織、そういったものでとらえがちなんですね。それが移植医療の場合には臓器という物で命のリレーを考えがちなんですが、この人間 が人間たるゆえんは、そこに精神性の命があるというところ、これが非常に大事だと思って、それが悲しみやあるいはトラウマを抱えて大変な人生を歩むことに なるとか様々なところへ影響してくるわけです。


 実は、私、医療者がより人間の魂の分野について、あるいは宗教的な心についてもっと持つべきではないかというある企業の社長さんの篤志的な 奉仕を受けて、それを基金にして高野山二十一世紀医療フォーラムというプロジェクトを立ち上げて、この六年ほど、私、理事長として事業展開をしてきている んですが、南野先生にもその理事をお願いして大変有意義なお力添えを得ているんでございますけれど、御質問の趣旨もそういう流れの中でよく理解できます。


 私が先ほど申し上げましたように、みとりというものがドナー家族にとってとても大事であるのに、臓器提供というとその臓器という物の受渡し に限定されがちな問題を、そこにもっともっと、ドナー家族の精神性やあるいは家族のきずなや様々なことについて、その無形の部分に目を向けた形で移植医療 というのが成立しなきゃいけない。


 私はかねて、人の痛みを感じる国家というのは可能なのかどうかということを絶えず考えてきたわけです。どういう形で法律や行政制度をつくっ たら、人の心の痛み、あるいは弱者の痛み、死に行く人への思い、そういったことが国家がかかわり得るのか。これは、恐らく行政の専門家や法律家は一笑に付 すかもしれないけれど、しかし一国民として考えたときに、それこそが重要なんではないか。


 ですから、この臓器移植法の改正に当たっても、単に臓器の受渡しなり判定なり、そういったことに加えて、ドナーになる人の心の問題、家族の 心の問題、そしてそれを待つレシピエントの心の問題、それらがイーブンにきちっと明記されるような文言というものを発明してほしいと思うんですね。それは 日本の文化をつくる上で大変重要な一つのワンステップになるんではないかなと、そう思うわけです。


 長い間、死生学を研究した立場からいえば、その辺りのことが、この臓器移植、もし改正するならば、ひとつそういう精神性の命というものまで視野を広げた意味での文言や条文が入れば、非常に広く国民の中に受け入れられるものになるだろうし、移植医療への心構えもできる。


 具体的には、幾つもあるんですけれど、繰り返しになりますが、時間的ゆとりということが極めて重要だということ。これは「おくりびと」の中 にもそういうのが語らずして出ていますけれど。先ほど別な御質問のところでも、せかされることは実態どうなっているかということですが、判定に入る前の判 断は比較的時間が与えられております。御家族に対して、それじゃ御家族で話し合ってくださいと言って半日とか一日待つ場合も少なくありません。これはとて も大事ないいことだと思います。


 しかし、脳死判定の二回目が終わりますと、ほとんど家族は、もうこれ以上遺体のそばにいてはいけないのではないかと暗黙のうちに勝手に判断 して、医療者から、そしてもう移植医が付いていますから、摘出の手術室に連れていくことに同意しちゃうんですね。そこを、むしろ医療者側が先手を切って、 しばらくお別れの時間を持ってくださいと言うぐらいのものがあって初めてこの制度というものが人間の痛みを感じる制度というのか、それを実現するものにな るし、移植提供者、臓器提供者がその後の人生を生きる上でとても大事な意味を持ってくるんじゃないか。


 そういったことを具体的に、この法案、細かいところでもっともっと改正すべきだと思うんですけれど、検討していただきたいなと思っております。

 以上です。






○小池晃君 分かりました。

 何か先ほどのお話聞いていたら、何か小児科学会はA案を支持されているようなちょっと印象に聞こえたので、そうではないということがはっきりしましたので良かったと思います。

 それから、柳田参考人にお聞きしたいのは、大変ずっしりと心に響くお話を聞かせていただいて本当にありがとうございました。国会が、衆議院 では八時間の審議で委員会は終わってしまって本会議で採決をしたと、それで今、参議院に来ているわけです。やっぱり、こういう本当にすべての人の生死にか かわる重大な法案、先ほど検証委員会の議論がされていなかったのが非常に不思議だというお話もありましたけれども、国会の議論にどういうことを期待をされ るか、求めておられるかということについて、参考人の思うところをお話しいただければというふうに思います。


○参考人(柳田邦男君) 国会でやることは法律を決めることですから、どういう法律を作るかということで、それは法律の文言の中に何を盛り込 むかということで国会の意味が出てくると思うんですけれど、そこを先ほど来申し上げましたように、この移植医療というものが人の、しかも一人一人の、個別 性のある一人一人の死というものをどうとらえ、それをどう見守っていくかということなわけですから、そういう配慮の上に、画一的に何か線引きをしてみた り、何か押し付けたりするようなことではやっぱり本当の命の文化にならないんじゃないかと思うんです。


 先ほど、私、文言を是非研究し、いい表現を発明してほしいと申し上げましたけれど、条文というのは、今の現行法でもそうですけれど、どうい う場合にはこうするというのは、もう極めて簡略に臓器の扱いとか認定とか診断とかということを言うわけですね。心の問題というのは法律になじまないわけで す。だけれど、それはどういう形で可能かというと、例えば条文の中に脳死者のみとりについてという条を作って、そこでいかにそういうものを大事にし、そし て国民文化の中に生と死の文化というものを根付かせるか、これが大変大きなモチベーションになるんだというふうなことを書き込むことは可能だと思うんです ね。その具体的内容は施行規則で決めるとか、何かそういう形で、いい意味で縛りを掛けることができるわけです。ただ、がむしゃらにやるんじゃないよという ようなことですね。それは一つの方法かと思うんですね。

 

 いずれにしましても、最も根幹となる脳死とは何か、あるいは脳死は人の死なのかというところについては、もう今日の午前、午後、そして二日 前の議論の中でもしきりに議論されて、そしていろんな角度から疑問も出されているようですし、そういうものを配慮した上で、何か今世界はこうなっているか らこうだというようなことではなくて、日本人としてみんなが生きやすい、そしてより良い死のみとりができる、それは何だろうかという角度から独自性を持っ たものが出ていいと思うんですね。


 そういう意味で私は、日本の文化あるいは日本人の心情、そういうものに対する配慮の利いた脳死臓器移植立法というものを探っていただきたい、それが今、国会の役割、政治の役割ではないかと思っております。






○谷 博之 君  もう時間が来ていますから簡潔に柳田先生にお伺いしたいんですが、これ、私の体験をちょっと申し上げたいんですけれども、ある臓器移植患者団体が毎年街 頭に出て、いわゆる臓器移植の趣旨を書いてドナーのいわゆる登録の協力を要請する、そういう行動をやっているんです。私もそういうところに患者団体の方と 一緒に参加することがあるんですが、比較的若い人たちはそういうときに協力してくれます。

 問題は、そういう方々、非常にこれはいいことだと思うんですけれども、ただ、それが、例えば家族の中でそういうドナーに登録したとかそうい うふうな話が果たして具体的にされているのかなとか、それで、瞬間的にそういうチラシを見て自分はそういう気持ちになって、じゃ協力しようというふうに なったとしても、万が一そのことが家族は分からなくて、本人だけで決めてしまっていたと。それが、こういう脳死状態になったときにそこが問題になってくる わけですけれども。

 先生が今九人の方にお会いしたとおっしゃいましたですね、ドナーの、提供された遺族の方ですか。そういう中で、今私、申し上げたようなそう いう、いわゆる病院の現場でそういうことを初めてその家族の人が知らされたとか、ドナーに登録しているというようなことを。そういうことについて何か、聴 き取りの中でそういうお話を聞いたとか、そういうことはございませんでしたですか。皆さん、全部分かっていましたですか。


○参考人(柳田邦男君) 最後のところがちょっと聞きにくかったんですが。


○谷博之君 ですから、脳死状態で、いよいよ家族がどうするかというふうなことになったときに、患者本人が、ドナーの患者さんがドナーに登録 していたということを初めて家族が知ったとか、そういうふうなことじゃなくて、もう前々からそういうドナーに登録しているということを調査したというか、 聴き取った家族の方々は、皆さんはもう最初から分かっていたわけでしょうか。


○参考人(柳田邦男君) 九家族を面接したのは専門家でございます。精神科医あるいは臨床心理士二名です。必ず二名一緒に行っております。そ の報告は聞いております。それは、作業班というクローズドなミーティングでずっと詰めてやっておりますので、非常にリアルな話を聞いております。私は面接 したわけじゃないので。


 それから、九例に限らず全体的傾向として、ドナーカードを持っていたから調査したとか、そういうことではなくて、両者はほぼ半々と考えてい ただければいいと思います。土壇場になって初めてドナーカードを持っていたのを知ってどうしようというふうに決断を迫られるという家族と、持っているのを 知っていて、そして決断を迫られる家族と、両方です。


 それから、ドナーカードを持っているのを知っていてもなおかつ迷う家族が多いということです。いざ、ここで署名すれば体に傷を付けるとか、 あるいはまだ人工呼吸器の助けを借りているとはいえ、動いている生体に傷を付けていいんだろうかとか、いろいろとそこで煩悶し葛藤いたします。そういうの が実態でございます。


 それから、若い人が比較的協力するという、これは結構なことで、特に大学とか、大学祭や何かで宣伝しますと協力者が多いんですね。大いにそうした普及活動は進めるのは望まれると思いますけれど。


 もう一つ大事なことは、本当に自分がその身になったら、あるいは自分の愛する連れ合いなり子供なりがそうなったら、あなたはどうしますかと いうこの問いを同時にしておかないと、ただ人道主義的にカードを持とうとか、まして、これからカードなしでもいいということになりますと、その辺りのこと が、逆に家族として今度直面したときにどうするんだろうかということが、カードがあれば議論する、家族間で議論した例もその八十一例の中には何例かありま す。家族で議論して、最初のうちはそんなことはと反対した家族も、いろいろと議論しているうちに同意をして、それじゃお母さんも持つわというような、そう いう家族もあります。こういう場合には比較的受容とそれからそのグリーフワークもいいんですけれど、いきなりというのが一番後に尾を引くんですね。そう いった意味で、本当に自分がその身になったらということをいつも考えるような、そういう普及法でないと、いざというときに役立たないというか、むしろ困惑 する。


 ですから、カードをなくするということは、臓器を取りやすくするというような意味でそうやるんでしょうけれど、しかし本当にそれがいいんだ ろうか。死のみとり、あるいは家族のその後の喪失体験後の生き方、それでドナーカードという何かそこに柱を外しちゃうみたいな、そういう意味を持つんでは ないかというのが、この心情調査から感じたことでございます。

 




○衛藤晟一君  四名の方に実はお聞きさせていただきたいんですけれども、今A案が衆議院から私どもの方に回ってきました。そのA案の脳死に関するところで、言わば前の 法案の方がいいんだと、六条のところをめぐって、という意見と、いやいや、むしろ人の死という具合にとらえるという観点も残っていて、そして、かつ脳死に 限定した方がいいんだという原A案と、それからその前のところについて、いや、もうこれは脳死に限定したものだという具合にした方がいいんだという考え方 が、今日、両方いろんな方からお聞きしたんですけれども、先生方お一人お一人として、どっちの方がはっきりいいんだというのか、いや、それはできればこっ ちの方がいいのかなということなのか、それはどっちも駄目なのかということをお答えいただいて、そしてそれに対する理由をお聞かせいただければと思うんで すけれども。

○委員長(辻泰弘君) 六条二項のことについてですか。

○衛藤晟一君 はい。


○参考人(柳田邦男君) 先ほど来、日本文化の特殊性、ファジーなところを大事にするという視点を私も大事にしたいと思っているんですけれど、現行法は脳死は一律に人の死としないであいまいなところを残しています。それはすばらしいことだと思っております。

 

 これは医学者と対立するかもしれませんけれど、ドナー家族の意思が脳死を死とする方向へ行くのか、あるいは死としないで心停止を待つようにするのかというのは、極めてダブルスタンダード と 批判されるかもしれません。また、刑法学者はそう言うでしょう。医学者は、それは科学に対して忠実でないと言うでしょう。しかし、一人一人が生きるその個 別性のある人生と死生観を大事にするという意味では、こうしたダブルスタンダードこそが私は新しい文化の在り方であり、日本が伝統的に持っていたあいまい さの良さというところを残すものだと思うんです。そういう中で人間はそれぞれの生き方を追求できるし、死の迎え方も追求できるというふうに思うわけです。


 したがって、A案のように脳死は人の死とし、そしてドナーカードはもうほとんど要らないような状態にしてしまうということは、必ずしもそう した日本人の死の迎え方に対する文化を合理主義的、科学主義的なもので割り切ってしまうことになりかねないという危惧を抱いております。どうしてもA案に 対して私が納得できないのは、そういう日本の文化を壊してしまいかねないような、そして個別の価値観を一律に科学主義の下でひれ伏させてしまうという、こ ういう行き方に対して疑問を抱くからです。


 そしてまた、子供について、子供を失うということは親にとっては大変な悲しみです。だからこそ、移植医療を待つ人たちが切実に海外にまで行 くわけですけれど、提供する側の子供の命をなくしている親も同じように痛切な悲しみと衝撃を受けているわけでありまして、そうした親御さんたちが本当に納 得のいくみとりができるようなそういう制度でなければ、大変それは日本人がいい死の文化、命の文化を持ったことにならないんではないかというふうに思うわ けです。

 以上でございます。






○参考人(柳田邦男君) 一言だけ。

 現行法はダブルスタンダードで混乱するという意見があちこちであるんですけれど、五十一例を見てきた限り、混乱は一切ありませんでした。た だ、こういう声があるんです。複雑で、もっと簡単にできないかという声がありました。人の命をそこで決めるときに、若干複雑であってもそれはやむを得な い。人の死というのはそんなに簡単にしてはいけないんではないか、私は五十一例を見て、そう思っております。

 

 よく、混乱する混乱する、だから一律に人の死にしろと言いますけれど、現実はダブルスタンダードで混乱しておりません。

 以上でございます。


○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。


 それでは、以上をもちまして参考人に対する質疑は終了させていただきます。

 参考人の方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして心より厚く御礼を申し上げます。

 ありがとうございました。(拍手)

 本日はこれにて散会いたします。

   午後三時二十一分散会

| | コメント (0)
|

より以前の記事一覧