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2013年3月20日 (水)

月刊「ナーム」を読み返す(2)

月刊「ナーム」2006年4月号

”いのちの言葉”「私は人間に生まれた」(松原泰道)より

人間はだれでも一生のうちにさまざまなトラブルに出会います。そして、そのつど人間は成長するのです。

釈尊も生後七日目に、生母の麻耶と死別されています。愛する者と別れなければならない「愛別離苦」を味わうのです。釈尊の人生苦の始まりであり、人間成長の最初の縁に会うのです。釈尊は、それからもさまざまな苦難により、「人間に長じ(成長)」られたのです。いい換えると、苦難に遭遇するごとに人間成長を重ねて、「仏を得た」のです。

「仏・ほとけ」というと、ともすると死者・故人・死体などに解しがちですが、正しくは梵語(サンスクリット)ブッダの音訳の仏陀を約した「仏」の訓読語で〈迷いを調えて真理を体得すること・また真理を体得した人〉のことです。釈尊の申される「仏を得た」は、「仏に成った・成仏した」と同じ意味です。

おもえば、成人と成仏とは人間完成のために欠かせない車の両輪です。成人は〈心身が十二分に成長した人・立派なおとなに成ること〉で、成仏はさらに〈価値的な人に成ること〉といったらいいでしょう。価値的な人を言い換えるなら、本当の人間ーー真人(しんにん・しんじん)です。すると、成仏とは〈人間が、本当の人間になること〉で、死人のことでないことが一層明らかになります。

人間の生きる道とは、人間が真の人間に成る成仏の道以外にありません。さらにいうなら、成仏とは「私が私に成る」自分の完成です。「私が」の私は、現実のありのままの煩悩にまみれている自分です。「私に」の私は、煩悩がよく整頓された本来の自分です。

「私が私に成る」こころを、最もよく詠みあげたのが、次に紹介する、詩人をさ・はるみさんの作詞『独言』です。

私が私になるために/人生の失敗も必要でした
むだな苦心も/骨折りも/悲しみも/すべて必要でした
私が私に成れた今/みんなあなたのお影です
恩人たちに/手を合わせ/ありがとうございますと/独言

私が私になる、自分を成長させるためには、無数のきっかけや原因が必要です。をさ・はるみさんは、それを「人生の失敗・むだな苦心・骨折り・悲しみ」の四つを挙げます。この四つに限らず、私が私に成るための原因や契機は、好ましくない負価(マイナス)ばかりです。しかしその負価を正価(プラス)に換えるのが、釈尊の教えの人間の生きるべき道です。

人生で出会う苦難(トラブル)はみな負価ですが、それが縁になって成仏できるのですから、負価はすべて「恩人」である道理です。よって負価を正価にするのが「生き甲斐」になるのです。

そうなのよね、ちょっと大変と思うことも、少し見方を変えて、それが自分のプラスになると思えば、その大変さがほんのちょっぴり少なくなる気がするんだよね…

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