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2009年9月 5日 (土)

「いま、若いお母さんたちに言いたいこと」田中澄江著―抜書き―

田中澄江さんは、平成12年に亡くなったが、生まれ年からすると、九十二歳ほどでいらしたようだ。

山や花がお好きだったようで、『花の百名山』という本を書かれているが、私が知っているのは、女として母としてお書きになった彼女の随筆。

1979年講談社刊行で少々古いが、『いま、若いお母さんたちに言いたいこと』には、現在子育て中の若いお母さんたちにとっても示唆に富む言葉が多く書かれていると思う。

母は、よく私を叱るとき、「そんなことをして、お父さんに恥ずかしくないの」という言葉を口にした。すぐに立っていって、仏壇にお線香をあげ、「お父さんにお謝りなさい」と言った。私が片親だったけれども、大きな危険におちることがなかったのは、父が霊として生きていたからのような気がする。少なくとも父は死んでも、家族の中心にいて、その姿なき影響を私たちに与えていた。

 近ごろの核家族化された家庭で、親が子供を叱るとき、「おじいさん、おばあさんに悪いと思わないか」とか「ご先祖様がどう思うか」というような言葉は出てくるのであろうか。その家の中心にあって、眼に見えない指導力を持つものは何であろう。私が核家族の人たちにぜひ勧めたいのは、家の中に祈るもの、拝むものを存在させることである。仏壇や神棚をつくれというのではない。生きている国許のお父さん、お母さんの写真でもいい。昔は神社のお札などをありがたがったひともあったろうけれど、今はどうか。キリスト教の信者であれば聖画・聖像、仏教の信者であれば仏像でよい。とにかく祈る対象になるものがほしい。

そして、今の時代、こういうこともあるのかもしれない…

危険から身を守るということは、私たちの子供のころは、徹底的に親から教え込まれた。ナイフで鉛筆を削り、おままごとでは包丁で物を切った。親たちはそれを許したkれども、「そんな切り方だったら手を切る」と言って、常に子供を見守っていた。事実、ときには切りもしたが、それでも、危ないから包丁を使うな、はさみを使うな、ナイフを手にするなとは言わなかった。使わせて、こういうふうにすれば手を切らないと教えてくれた。ところがいまは、切らないで済むように環境を当てがってしまって、子供が危険に遭遇しないようにするのが愛だと思っている。

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