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2008年9月15日 (月)

和田秀樹著「<疑う力>の習慣術」―抜書き― 

最近、マスメディアの情報や報道の力が強すぎるんじゃないか、あるいはその弊害があるのではないか、ということを時々聞く。事実はどうあれ、マスメディアの言うことで、一般の人の考え方が左右されてしまっているのではないか、と感じている方は多いのではないだろうか。

和田氏もその点を危惧されている。だから、<疑う力>も大事だよと述べておられる。

 各局ごとに多様な観点からの情報が報道されていて、自分自身でそれらを取捨選択して判断する状態にあれば、テレビは重要な情報源の一つと言えるだろう。しかし、最近のテレビは、どのチャンネルを見ても同じようなニュースが流れていて、同じような顔ぶれの解説者によって、同じような意見が述べられている。これでは、知らず知らずのうちに影響を受けて、テレビで言われている意見が、あたかも自分自身の考えであるかのようになっていく。テレビによって「正義」と「悪」が決まってしまっている側面があるとすら言えるだろう。

会社の不祥事があったときの記者会見を見ていて、とても気になることがある。それは、記者が質問をするわけだけど、その言い方が、すごいヒステリックな非難口調だということ。鬼の首でも取ったような、私みたいな素人が聞いていても、聞くに堪えないような煽り口調で、これってどうなのsign02と思う。

・・・今のメディアの状況は、「絶対善」と「絶対悪」を作りやすい状況で、少しでも悪い要素があると、スケープゴートにしてしまって、全マスコミが徹底的に叩いてしまう。そういう状況にある。
 これは非常に危険な状況だ。物事には善と悪だけではなく、グレーの部分もある。というよりも、グレーの部分がほとんどであって、絶対善、絶対悪などというものはまずない。にもかかわらず、マスコミからの毎日の情報に左右されて、つい私たちは「絶対善」と「絶対悪」に分けて考えてしまいがちだ。マスコミで流されるニュースの影響力が大きい時代だからこそ、よりいっそう「疑う力」が欠かせないと言えるのだ。

教育(ゆとり教育は学力低下から最近、見直されているようだが)、心理学、経済、司法など、アメリカなどに盲目的に追従したために起ってきた弊害もあるのではないか、と和田氏は言う。

 ゆとり教育が推進された背景には、「日本の教育は、受験勉強ばかりさせているから、オリジナリティが低く、創造的な研究ができない。オリジナリティを高める教育が必要だ」という考え方もあった。そのため、自由な教育をするほうがよいと判断されたようだ。
 自由な教育がよいとされた根拠は、「あまりたくさん賞罰をつけると、子供のやる気がかえって失われてしまう」というアメリカで生まれた理論である。外的な賞罰を与えてしまうと、自然な好奇心を削いでしまうから、子供たちの自発性に任せて自由にやらせたほうがいいという説だ。

 ところが、その結果として、深刻な学力低下が起こり、一九八〇年代には非常に大きな問題となった。そこで、アメリカでは再び教育方針を大転換し、現在は、学力重視、宿題重視、ペーパーテスト重視の教育が強力に推進されている。

「子供に自由にやらせたほうがいい。自由にやらせているアメリカのほうが日本人よりオリジナリティが高い」というような思いこみにとらわれて、それを疑う人が少なすぎたために、アメリカで失敗した政策を導入してしまったのである。
 もちろん、アメリカで失敗した政策だからといって、すべてが間違っているわけではない。どこが失敗だったのかと言えば、自由にやったほうが伸びていく「もともと意欲の高い子供」の割合を高く見積もりすぎてしまった点だ。

「心理学を使うと人の心がわかる」と思っている人がいるが、心理学を過信するのは禁物だ。

 古くから存在する心理学というのは、いずれも人の心を理解するための「仮説の一つ」に過ぎない。それが正しいかどうかは、検証してみないとわからない。世の中には、フロイトの仮説には当てはまるけれども、ユングの仮説には当てはまらないという心の持ち主もいるだろうし、フロイトの仮説には当てはまらないけれど、コフートの仮説には当てはまるという心の人もいるだろう。有名心理学者の誰の仮説にも当てはまらないという心の人もいるはずだ。仮説に対して、きちんと検証することが非常に重要なポイントと言えよう。

このことと直接関係あるかどうか分からないが、娘の一人が、一時期、カウンセリングを受けていたことがある。一時間も幼い時のこととか深く掘り下げたりして、本人がカウンセリング後、とても疲れた様子を見せていて、果してそのようなカウンセリングは本人のためになるのかと疑問を感じたことがある。

それから、最初は確かにウツだったらしいが、薬を長く飲んでいたことも、果して娘のためによかったのか…環境から薬をやめざるを得なくなって、かえって傍から見て、本人が正常になった気がしたので、長期間の精神的な治療が、果して本人のためになっていたのか…と、今疑問を持っている。

 高齢者が社会にとって金食い虫のように言われる原因の一つには、医療費問題がある。確かに高齢者医療費は非常に大きな社会的負担となっている。
 しかし、これに関しては、就労率が高いほど医療費が低いというデータがある。高齢者が働ける社会にすれば、医療費も下がってくる可能性があるのだ。高齢者が働いてくれれば、当然、年金財政も楽になってくる。能力のある高齢者は多いのだから、「高齢者は働けないものだ」という認識を一度疑ってみる必要があると思う。

 高齢者医療費の問題の中には、高齢者に対する薬漬けの問題も含まれている。これまでの医学では、高齢者を対象にしたデータが少なかったから、通常の成人を基準にして、「血圧や血糖値、コレステロールを正常範囲内に抑えたほうがいい」という考え方が常識だった。しかし、高齢者の場合には、これらの値が正常値よりも多少高めの範囲であれば、生存率はほとんど変わらないというデータも出てきている。高齢者の場合は、血圧を下げすぎたり、血糖値、コレステロールを下げすぎたりすることのほうがむしろ弊害が大きい。薬による効果よりも、副作用のほうが大きいくらいなのだ。

こういうことって、知らないうちに常識が変わったりしていることがあるよなあ。

そして、ずっと続いている「アメリカに追いつき、追い越せ」というスローガン、これは果して…

 アメリカに倣って、企業内のIT化も進み、組織形態は「アメリカのように階層の少ないフラットな形がいい」とされ、できるだけフラットな形にしようと変える企業が増えた。「競争力強化のためには米国企業のようにリストラが必要だ」という判断から、長年続いていた終身雇用を突然やめて、リストラを実施する企業も相次いだ。「アメリカでは若手を経営者にしている」と聞けば、若手を抜擢しようとするし、「仕事ができる人間の報酬がアメリカではもっと高い」と聞けば、年収に大きな差をつける成果主義を導入しようとした。
 さらには、アメリカが知的財産権を重視していることから、日本も知的財産を重視する法体系に変えつつあるし、それどころか、司法制度そのものにおいても、ロースクールをつくり、裁判員制度をつくろうとするなど、アメリカ型に近づけようとしている。

 しかし、終身雇用の崩壊をとってみても、成果主義の導入をとってみても、若手登用をとってみても、果たしてそれが日本でうまくいくのかどうかはわからない。

 司法制度にしても、アメリカの司法制度は過剰な訴訟や、陪審員制度など、さまざまな問題点が指摘されているから、日本の司法制度をアメリカ型に合わせることがよいことかどうかはわからない。

裁判員制度、嫌だなあと思っている人は多いんじゃないか。果たしてどういう問題が出てくるか。

昔の映画「12人の怒れる男たち」で、陪審員になった普通の人たちの心理が表現されていたけど、日本人が裁判員になって、各人がどれほど複雑な心理状態になるかは予測できないから、怖い気がする……

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