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2008年7月31日 (木)

『篤姫』は面白いかも…(4)

薩摩藩の三田邸に、篤姫一行はやっと到着するが、母となった英姫とは御簾で隔てての会見となり、篤姫はがっかりする。

実は

 婚儀は斉彬十五歳、英姫十九歳のときで、その翌年の文政七年に、英姫はひどい痘瘡をわずらったという。
 このとき幾島はもう郁姫とともに京の近衛家に入っていたが、その患いのあと、みるも無残な瘡痕が顔に残り、このとき以来、英姫は人前に出ることを極端に嫌うようになったのだといわれている。
 痘瘡は、斉彬自身は八歳のときに罹り、このときは良質の酒で風呂を立てて斉彬を入れるほどの養生をしたがために軽症で本復したが、英姫のときは酒湯は立てなかった。
 それを生涯、英姫は怨んだともいわれており、こういう理由で、人と会うときは御簾を使ったのだと幾島は聞いているが、それは篤姫には明かせなかった。

こういう理由があったのね。

事情を知らぬ篤姫の落胆はとてもひどかったようだが、後の安政の大地震の時に、篤姫のことを英姫はいの一番に心配してくださったのである。

そうそう、藩邸に篤姫が到着した時、英姫からの贈り物を老女藤野が持ってくる場面がある。贈り物は高杯に盛られた菓子だ。

 篤姫は厚く礼をのべて使者を帰したあと、その高杯の上の、菊花を象ったねりものを一つ取りあげてみると、その味のよろしさ、こんな美味はいままで口にしたことがないと思うほどであった。
「お気に召しましたか」
と幾島はその様子を満足げに見て、
「これはたぶん虎屋のものにございましょう。お国にもかるかん饅頭などもございますが、職人の手はやはり江戸が優れておりますなあ。
 これからは毎日、姫君さまのお望みのままにこのようなお菓子がお召上りになれます」

篤姫は、また幾島の江戸自慢、京自慢が始まったと思うのだがwink

虎屋というのはあの「とらや」だろうなあ、と思い、「とらや」のホームページを見てみた。結構いろんなコンテンツがあって興味深い。

「菓子資料室虎屋文庫」というコンテンツがあり、その中に『歴史上の人物と和菓子』があって、これは面白いsign03何しろ、徳川家定、天璋院、徳川慶喜、なんていう見慣れた名前が載っているのだからgood

家定はなんと、饅頭やカステラを手作りしていたかも、というのだ。小説にそういう場面は出てくるのだろうかsign02

天璋院篤姫は、14代将軍家茂が長州攻めのために大阪にいるときに、猩々羹(しょうじょうかん)、難波羊羹、唐饅頭を、家茂に贈ったという。

猩々羹は紅色の羊羹、難波羊羹は甘さ控え目の羊羹と考えられるという。難波羊羹は、名前に反して江戸にあって難波(大坂)になく、砂糖の量は煉羊羹の半分程だったそうな。

唐饅頭にはカステラ風生地の饅頭と、堅い生地で中が空洞になった干菓子タイプの二種類があり、天璋院が贈った唐饅頭は、江戸から大坂までの日数を考えると後者だったのではないかとのこと。

徳川慶喜は、将軍職を解かれたずっと後、明治41年に、「とらや」に引き菓子を注文した記録があるという。

「とらやの伝統と文化」というコンテンツによると、「とらや」は1500年代に京都で創業された菓子屋で、江戸にいる将軍からの注文もあったようだが、京都から江戸に運ばなければならなかったわけだから、生菓子ではなく干菓子であったろうということだ。

明治になり、東京遷都とともに、御所の御用を務めてきた「とらや」も、東京に店を出すことになったようだ。

ということは、この家定の時代には「とらや」は江戸には開業してなかったということになるから、生菓子である、小説の中の「菊花を象ったねりもの」は、「とらや」(虎屋)の菓子ではなかったのではないだろうか?

でも、小説の中の「菊花を象ったねりもの」は、羊羹というより、「とらや」の「歴史上の人物と和菓子」の中の『徳川家茂―虎屋の将軍家御用と摺針餅』というコンテンツの最初のページにある綺麗なピンク色の菊の形の「練り切り」の画像のようなものだったのではないか、と私は想像している。私、こういう和菓子大好きなのよねdelicious

だいぶ話が横道にそれましたcoldsweats01

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