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2007年11月 9日 (金)

ひろさちや著『ほどほど人生のすすめ』―抜書き―

私は、時々、ひろさちや教と美輪明宏教の信者ではないかと思うときがある(笑)

Wikipediaより

ひろさちや(昭和11年(1936年)7月27日 - )は、日本の宗教評論家であり、多数の一般向けの解説書を執筆している。本名は増原 良彦(ますはら よしひこ)。 大阪府に生まれ、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。 因みにペンネームの由来は、ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatiya(サティヤ)の造語である。 また、超宗派の仏教信者の集まりである「まんだらの会」を主宰している。

名前の由来はこれなのね。

ところで、最近、にわかに仏教の最新式布教が始まっているようだ(笑)東京ボーズコレクションとか「カフェ・ド・シンラン」とか。やっと、日本の仏教にも希望が見えてきたかな(^_^;)

では抜書きへ。

ひろさちや著『ほどほど人生のすすめ』より

 夫婦が同じ釜のめしを食っていれば、その回数が多ければ多いほど、いろんな危機をうまく乗り越えることができます。

 仏教では、仏教者が他人のためにすべき四つの徳目を「四摂法」(ししょうぼう)または「四摂事」(ししょうじ)と呼んでいます。
 1 布施…施し与えること。
 2 愛語…やさしいことばをかける。
 3 利行…他人のためになる行為をする。
 4 同事…相手と同じ立場に立つこと。

 同事…とは、同じ釜のめしを食うことです。
 愛語…は、「かあちゃん、愛しているよ」「とうちゃん、愛していますよ」のことばです。
 利行…とは、結婚してから愛し合うことです。
 とすると、残るは「布施」ですね。
 わたしは、夫婦はそれぞれ自分を一本脚と考えるべきだと思っています。
 一本脚では歩けませんね。
 だから、その一本の脚を相手に布施するのです。相手に二本脚になってもらって、相手と一緒に歩かせてもらうのです。

 わたしたちは、自分を二本脚――二本脚というのは「完全な人間」ですが――と思ってはいけません。一本脚――不完全な人間――と思ったほうがいいのです。仏教のことばでいうなら、その不完全な人間が「凡夫」です。
 凡夫が自分の一本しかない脚を相手に布施して、相手に二本脚になってもらって、自分も一緒に歩かせてもらう。それが仏教的な夫婦です。

「大志を抱け!」――を前提にすると、何かデッカイことをやった人間のほうが、すばらしい人間のように思えてきます。
 もちろん、それは、総理大臣になるといったようなことだけではありません。人に知られざるところで、コツコツと仕事に励んできた人でもいいのです。が、ともかく、何か仕事をした人が立派な人ということになりそうです。
 わたしは、その考え方に反対です。
 人間は何もしなくていいのです!
 ただ生きているだけでいいのです!
 そのことをはっきりさせておきたいと思います。何かをするから、人間は偉いのではありません。そんな考えでいるから、収入が多い人が偉いという、資本主義的拝金思想がのさばるのです。人間は労働をするから偉いのではありません。

「世の中の役に立つ人にならないといけない」――といった世間の常識は、わたしはまちがっていると思うのです。そんなことを子どもたちに教えているから、子どもたちは老人を尊敬しないのです。尊敬しないどころか、年寄りを軽蔑し、毛嫌いするのです。

「世の中の役に立つ人になれ」――と教えていると、わたしたちは「役に立つ・役に立たない」の物差しだけで人間を測るようになります。若者よりは年寄りが、健常者よりはハンディキャップのある人が、役に立たないように思われます。それが、わたしには怖ろしいのです。

わたしたちが世の中の役に立つ仕事をやっていると、自分はもうそれで完全な人間になっているかのように錯覚し、働いていない人、世の中の役に立っていないように思われる人々を見下し、軽蔑してしまうことを、お釈迦さまがいましめられているのです。

日本は、終身雇用制をなくしてしまう会社が増えて、そのため、本人の能力が重視されるようになってきた。会社から見れば無駄を排するということになるが、被雇用者から見れば、こんなにストレスのかかる、そして格差を生み出す仕組みはないよな。これこそ、「役に立つ・役に立たない」で判断するという冷たい仕組みなのかもしれない。これでいいのかなあ……

わたしたちは、他人に忠告してあげているつもりでいます。しかし、じつはそれは、ほとんどの場合、「批判」にしかなっていないのです。相手の立場になってみれば、そういう行動しかとれないときに、「こうしたほうがいい」と言うのは、相手を批判したことになります。私たちはそれを友情と錯覚していますが、それは友情ではありません。

 友情というものは、あなたが善しと考える方向にあなたの友人を向けることではありません。そうではなくて、その友人の進む方向を、あなたが理解してあげることです。

これと同様のことは、友人ではないが、自分の娘がトラブったときにつくづく感じ、思い知った。

いくらこちらがいろいろ言って、娘を軌道修正しようとしても、自分の命なんてなんとも思ってない、自分なんかどうせ…という意味のことを言い、私から遠ざかるばかりだった。

思い悩んでいる時に、ずっと以前に聞いた「親業」の講演を思い出し、それと関連して、鈴木秀子さんの『愛と癒しのコミュニオン』 (文春新書) を買って、娘に会う前にはいつも、それを電車の中で読んで、何とかうまく娘に接しようと努めた。なかなかできはしなかったが……

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つまり、批判せず、ひたすら娘の話を聞き、娘の気持ちに寄り添いたい、と願ったのだ。そして、遠くにいる私にできることは、週末に通って食事を作り、あれこれ言わずに聞き手になることだけだった。

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