三笠宮寛仁様「皇室はストレスの塊」
三笠宮寛仁様といえば、亡くなられた高円宮様のお兄様。食道・喉周辺の癌で何度も手術された宮様で、最近は、アルコール依存症だとも報じられた。
なんとなく親近感を覚えるのは、実家の父が宮様と同じ食道癌を病んだからだろう。残念ながら、父は、大手術後、一時治ったものの、気管付近に、その後転移が見つかり、放射線で治療で消失。しかし、再び転移が見つかり、抗がん剤で治療中に肺炎を起こし亡くなった。宮様は、何回も手術をなさって、癌と闘っておられる。
その宮様がこういう発言をなさったとか。うーん、やっぱり大変なんだなあ。古狸(^_^;)がいっぱいいるんだろうなあ。
「皇室はストレスの塊」=三笠宮寛仁さまが米紙と会見 10月21日17時0分配信 時事通信
【ニューヨーク20日時事】三笠宮寛仁さまは20日付のニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたインタビューで、「皇室はストレスの塊のようだ」と指摘、ご自身のアルコール依存症などの背景には家庭内の問題も含め、こうしたストレスの存在があるとの考えを示された。皇族が海外メディアのインタビューに応じ、皇室の内情や意見を明らかにするのは異例。同紙はインタビュー時期は明示しなかったが、最近、1時間40分にわたって行われたという。
同紙によると、寛仁さまはご家庭について、信子さまとの結婚生活も26年におよび、家庭内にいろいろな難しい問題があると語った。その上で皇室についても、さまざまな問題があると指摘。一例として、皇太子さまの「皇太子妃の人格否定」会見を取り上げ、「皇太子に長い手紙を出し、詳しい説明を求めた。返事があれば、いくらか前進することができたであろうが、わたしの意見に礼を述べた返事しかなかった」と述べた。
略歴等については、Wikipediaから
寬仁親王(ともひとしんのう、1946年(昭和21年)1月5日 - )は、日本の皇族。 三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第1男子。弟に桂宮宜仁親王、高円宮憲仁親王、姉に近衛甯子(近衛忠煇夫人)、妹に千容子(千宗室夫人)がいる。今上天皇(明仁)の従弟に当たる。印は柏(かしわ)。勲等は大勲位。皇室典範による敬称は「殿下」。学歴は学習院大学法学部政治学科卒業。学位は政治学士(学習院大学)。髭をたくわえた容貌から、「ヒゲの殿下」の愛称で国民に親しまれる。
1968年(昭和43年)学習院大学法学部政治学科を卒業後、1970年(昭和45年)までの2年間、イギリスのオックスフォード大学モードリン・コレッジに留学。1970年から1972年(昭和47年)には、札幌オリンピック組織委員会事務局に、また1975年(昭和50年)には、沖縄国際海洋博覧会世界海洋青少年大会事務局に勤務した。1980年(昭和55年)11月7日、麻生太賀吉の三女・信子と結婚し(これにより麻生太郎とは義兄弟となり吉田茂とは義理の祖父の関係となる)、1981年(昭和56年)12月20日に長女彬子女王、1983年(昭和58年)10月25日に次女瑶子女王の二女を設けた。
伯父の高松宮宣仁親王の影響を受けて早くから障害者福祉やスポーツ振興などの公務に積極的に取り組んできた。特に障害者がスポーツへの取り組みを通じて社会参加することを促すため、自らも指導にあたり、社会福祉法人「ありのまま舎」(仙台市にあるバプテスト系の筋ジストロフィー障害者福祉施設)の活動に見られるように施設の運営などにも関与し、講演や著述を通じて啓発活動にエネルギッシュに取り組んでいる。また英国留学を機に国際親善にも強い関心を持ち、日英協会名誉総裁をはじめ、諸外国との交際にも意欲的に取り組み、従甥の皇太子徳仁親王や秋篠宮文仁親王の英国留学の先鞭をつけた。寬仁親王は曾祖父・明治天皇との容貌の類似を指摘されるきっかけにもなった髭を蓄え、剛直で豪放磊落な性格である。一方で良く繊細な面を垣間見せることもあり、若いころは社会福祉に熱心に取り組もうとしても自分の行動が皇族としての身分に制約されることに悩み、一時「皇籍離脱発言」をして世間を騒がせたこともあった。結局、皇籍離脱になることはなかった。
かなり自由な考えの方でおられるのだろう。雅子様の味方にもなってくださる方に違いないのだが……
『癌を語る』 (寛仁親王著) は主婦の友社刊
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- 皇太子殿下の49歳誕生日の記者会見(2009.03.05)
- 保護センターの犬、5日間の命?!(2008.04.19)
- 三笠宮寛仁さまに新たな早期がん(2008.03.12)
- 韓国人歌手が横田めぐみさんに捧げる歌を…(2008.03.05)
- <天皇陛下>骨粗しょう症の可能性(2008.02.26)



コメント