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2007年10月20日 (土)

曽野綾子著『永遠の前の一瞬』―抜書き―

この箇所を読んで、しっかりしていない母親である自分のことを考えて、ちょっとほっとしたものだ。その分、そういえば、娘たちは、私の若い頃よりずっとしっかりしている(^_^;)

曽野綾子著『永遠の前の一瞬』より

 子供が交通事故に遭わないことも、癌にかからずにこの年まで生きて来たことも、ほんとうは何一つとして母親の力ではない。なぜなら二十四時間、ぴったりと子供を見張るということもできるわけではないし、どうしたら癌になるのを防ぐかということも、まだ医学的に解明されてはいないからである。
 母親は子供に対して、本当に小さなことをしてやって来たにすぎない、ということを心に銘記すべきなのである。
 家にいてやって、なんとなくほのぼのとした思いにしてやること。ヒステリーをおこして、子供に「ちぇ、女ってしょうがねえもんだなあ」とあいそづかしをさせること。おとうさんが浮気をすると、その裏切りに対してくやし涙を流すこと。そのようなささやかな、それでいてひたむきな生活に対する態度を示すことだけが、子供に、ある切実な刺激を与えることはまちがいない。
 しかし、母親がいかに望んでも、子供の性格や能力を本質的に変えることはできないのである。その点でこそ、私たちはどれほど、自信を喪失しても、しすぎるということはない。
 しかし、そのほかのことでは、私たちはそうそうに自信を喪うことはいらない。
 本当の友人の間柄というものが、お互いの美点ではなく欠点を愛するものであるように、子供の多くも、母親のダメなところをけっこう愛してくれるものなのである。ただその際、母親自身に、かなり厳しい自己批判があることもまた大切なのだが……。
 おっちょこちょいのおかあさん。眠がってばかりいるおかあさん。お料理で失敗ばかりしているおかあさん。算数のできないことをゴマかしているおかあさん。そのような母親を見る時、子供たちはむしろ、こんなダメな親だからこそ自分がなんとかしてやらなければならない、と子供心にも奮い立つ。
 もしそのような弱点を親が見せなかったら子供はどうなるだろうか。子供はいつまでも「便利な」親から離れようとはしないだろう。親はいつも寄るべき大樹の陰となり、子供は、いくつになっても、自分の力で他人のために何かをなすという気持ちを持とうとはしない。
 むしろ、私たちは、子供の将来を我が手で決めてやれるように思って自信に溢れている時こそ、危険なのである。
 自信を喪うということは、前にもいったように、きわめて健康なことである。心配になったら、隣近所、親戚のところを、おろおろして歩けばいいではないか。そのうちに、世の中にはいかにさまざまの考え方があり、そのどれをとっても、けっこうなんとか生きて行ける、ということを悟るに違いない。
 その間に子供も親も共に、本来持っていた生命力をとり返す。それでバンバンザイである。

本当に、子供たちのトラブルを一緒に通り過ぎてきて、世の中の生き方、考え方は何でもありだなと最近、私も思うようになった(^_^;)

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