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2007年8月 7日 (火)

「なぜ人は恐ろしいことをするのか」曽野綾子著(2)

靖国神社についての曽野さんの考え方が表現されているところがある。

靖国神社には、神道も仏教もキリスト教もそれぞれの信者がいっしょに祀られている。数人のキリスト教徒の遺族がここに祀られたことを怒ったが、亡くなった方たちが、宗教の違いによって争うとは考えていない。

曽野さんはカトリックだが、靖国神社に詣でられるとどこかに書いてあったな。私の知っているキリスト教信者の中には絶対神社というものには詣でないという人もいる。

靖国神社に祀られた人たちの九九・九九パーセントまでが、普通の兵士である。A級戦犯の数など一体何人なのか。数人のために残りの人にも参らないというのは筋が違うだろう。それに日本の古来の神道では、死者はすべて神になるというのだ。キリスト教でも「裁きは神に任せなさい」という絶対の掟がある。死んだ人が地獄へ行くか天国へ行くかは、人間の決めることではないのだ。なぜなら人間は、その人の生涯の全容を知り得ないからである。それができるのは神か仏だけだ。

曽野さんは、多分キリスト教を地盤とした、「誰でも善と悪の両方を持ち合わせている」「あなたも罪びと」というような考え方が根本にあるのだろう。

新約聖書に次のような箇所がある。

【ヨハネによる福音書8章3-7節】そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

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