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2007年6月29日 (金)

さだまさし『眉山』(2)

眉山』を読み始めたとき、最初のシーンが何の式の場面なのかよくわからなかった。読み進めていくうちに、献体をした人に対する慰霊、遺族に対する感謝を表すための式典なのだと理解できた。

献体についてはずっと以前に考えたことがある。もちろん自分自身のこと。

でも残された者の気持ちとか、自分の体がどうなるのかとか……。死んでいるのだから自分自身はわからないのだが、それでも感情的にもう一つ決心がつかないままだった。

だから、咲子が母の決心を知ってびっくりしたのは当たり前だと思うし、でも、母の相手に対する気持ちを知って、咲子がその決心を理解し、それに沿って行動した、それがとても優しいと思うし、偉いなあと思う。

さだまさし氏も、献体について考えたのだろうなあ。

それにしても、この親子、大変な境遇の中、きっぱりとしていて、優しくて、互いに思いやって……なかなかできないことだ。

好きな人に最後まで頼らず、それでいて、しっかりと優しい子供を育て上げる龍子は見上げたものだ。互いに車椅子での再会の場面、相手は龍子を見るが、龍子は決して相手を見ようとしない。彼女の苦しさ、そして潔さは、その場面に集約されている。

原作では、咲子が篠崎医院を探し当てるところで終わっているが、映画では、予告編をチラッと見た限りでは、咲子が父と言葉を交わすところまで行きそうな……

さだまさし氏は、「おはようとくしま」のインタビューで、自分の作品が映画になると、自分がこれを訴えたいと思うところとは違うところが強調されて描かれることがある、という意味のことを言っていたが、もし、映画で、咲子が父と言葉を交わすのだとしたら、どうなのだろうか。原作のように余韻を残したほうが…と思うが、でも映像では、そうせざるを得ないかな(^_^;)

映画は、すごく見たいとは思わないが、「よしこの囃子」は聞いてみたいし、阿波踊りの場面は見てみたい。

映画ついでに……昨日、小堺一機の「ごきげんよう」に出演していた映画コメンテーターのLiLiCoさんが、大泣きに泣いたという『ロッキー・ザ・ファイナル』も是非見てみたいなあ!

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